株式会社前田工業 代表取締役
前田 賢二
東京オリンピック開催を控えて始まった、大阪・東京間の線路内におけるトンネル工事。 その保守・修繕を現場で手掛けるのが、静岡県掛川市の前田工業です。 代表の前田は、大阪、宮崎、静岡と各地を転々としながら、 「何事にも臆せず挑戦する」という自身の信念を常に貫き、 その技術力だけで周囲の信頼を勝ち取ってきました。これまでは建設業界一筋でしたが、今後は異業種への事業展開も見据えております。
現状に甘んじない姿勢で、これからも自らの信じる道を突き進んでいきます。
代表取締役 前田 賢二×ゲストインタビュアー 野村 宏伸
とび・土工工事をはじめ、幅広い土木工事を手掛けている当社。
代表の前田は大阪、宮崎、静岡と、各地で活躍した実績があり、当社の高い技術力は業界内でも高い評価をいただいております。
そんな代表の人物像を探るべく、MASTERS(月刊マスターズ)様にインタビューが掲載されました。(取材/ 2018年8月)
ええ。現在メインに手掛けているのは、「JR東海」さんの線路内におけるトンネル工事です。
トンネル内の保守・修繕作業などを行っており、新幹線の運行が終了してからの深夜作業が中心ですね。
私は宮崎県の出身で、母子家庭で育ちました。苦しい家計を支えられればと、私も中学生のころから内装業を営む兄を手伝っていましたね。
それからずっと現場仕事一筋で、しばらくは宮崎で働き、27歳の時には大阪へ。
全く伝手はなかったのですが、幸運にも建設会社の社長さんとのご縁があり、拾っていただきました。
とても高い技術を持っている会社で、私も5年間働く中で多くを学ばせていただきましたね。
まずは30代前半の時に大阪で独立し、前勤務先の下請け工事を専門に手掛けていました。
その後には宮崎に戻り、地元で建設会社を経営していたこともありましたね。そんな中で、大阪・東京間の線路内におけるトンネル工事が始まり、お声掛けいただいて、静岡に出てきたのです。
余談ですが、妻とも静岡に移ってきてから出会いました。
妻は飲食店を経営しており、そのお店にたまたま訪れたことが出会いのきっかけでしたね。
最初に独立する際には周囲から「お前にできるはずがない」と言われましたし、独立後も大変なことは多々ありましたよ。それでも常に「やるしかない」と覚悟を決め、挑戦を続けてきました。
私はおべんちゃらを言うのが嫌いで、元請けさんだろうと誰だろうと、自分の意見をはっきりと伝えてきました。そんな私の姿勢を気に入らない方もいるでしょうし、実際に仕事をいただけない時期もありましたよ。それでも今はお陰様で「JR東海」さんをはじめ、仕事の内容で評価してくれる元請けさん数社とお付き合いをさせていただいています。
周囲の方々には本当に感謝していますし、その信頼に応えたいと思いますね。
それはありません。
もちろん自分たちの仕事への自信もありますし、思ったことを言って干されるような元請けさんの仕事ならしなくていいというのが、自分なりの信念です。それでもし会社を畳むことになれば、どんな仕事をしてでも家族を養いますよ。
もちろん従業員がいますから、彼らの生活に対する責任感は強く持っています。ただ、だからと言って自分の気持ちに嘘をつこうとは思いませんし、従業員を言い訳にもしたくない。
野村さんを前に言うのは恐縮ですが、経営者も役者さんのように、「強い社長」を演じることが大切だと思います。
ミスなく、綺麗で正確な仕事をするということですね。
私も学歴はありませんが、建設業界は身体を動かしてなんぼですから、中卒も高卒も大卒も関係ありません。逆に言えば、誰にだってチャンスがある。ですから従業員にも「綺麗な仕事をしろ」と厳しく言っていますし、良い仕事をすれば学歴や年齢は関係なく、見合った給与を渡しているつもりです。
今はある程度の基盤もできていますが、現状には満足していません。現状がスタートラインだと思っています。建設業に限らず、今後も様々な人と関わり、幅広い事業を手掛けていきたいです。
既に現在、地元・宮崎の郷土料理屋の開業に向けても動いているところなんですよ。
私が16歳の時、母は47歳という若さで亡くなりました。そんな母が生前できなかった分まで、私は様々な経験をしたいと思っているんです。
成功しようと失敗しようと、人生は一度しかありませんから、今後もチャンスがあれば何でも挑戦していきたい。そう思っています。